絶対的理解者でありたい

家族に対しては絶対的理解者でありたい

少し・・道を踏み外しそうになっても

少し・・上手く立ち回れないことがあっても

母は、親は、絶対的理解者でいないといけないと思う

父が亡くなる数日前、病室のベッドから 大学病院の研究棟が見えていて

夜遅くまで明かりがついていた。父は「あそこも、みーちゃん(私)と同じように音楽の練習しよるのー」

私の演奏会なんて見に来たこともないくせに、そう言った

その時 「音楽をやめてはいけない」 と心に誓った

それから30年、結婚したときも、子どもが二人生まれた時も、ずっと音楽だけはやめなかった

これからもずっと・・・きっと・・・

そして、家族にとって私は どんな時も 絶対的理解者でありたい

ゆ~とぴあライブ・母


嬉しそうに私の演奏を聴く母。 私の演奏を聴かせたのは、この時が最後。
亡くなる4ヶ月前でした。

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思ひで

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母の引き出しの整理をしていて
小さなメモ帳を発見
5年間くらい、誰と何処にいった
という箇条書きのメモ
最後のページに書いてあったのが
長女と3人で行った 温泉だった

疲れましたの文字に、笑いました(⌒▽⌒)

つきつめて考えると

圧迫骨折=入院 という図式から、間違っていたんだろうな。
みんながそうなる訳ではないし
元気で退院する人が大半
でも母は、寝たきりになった

「僕の力が足りなくて、すみません」
と、担当PTが頭を下げた
何が彼にそう言わせたのだろう
彼を責めた事は一度もなかったのに

後悔をしない為に在宅でみてきたはずなのに、気が付けば 考えてしまう

もし、あの時、、、、

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ハナミズキの花が・・・

満開に咲き乱れる、穏やかな春の日

母は旅立ちました

後悔することは、前向きに生きることではないので

笑顔で、送ってあげようと決めていました

「明日も休みだから、午後から来るね」 

「うん」

「じゃあ、またね」

と手を振ったのが最後の言葉でした

寝たきりになって2年、最後の9ヶ月は自宅で

母の介護をすることは、少し負担ではありましたが

すごく大変だとは思いませんでした

母も 私も 笑って過ごせたと思います

もう少し・・と思うと きりがなく、後悔すると自分のしてきたことが間違いになる

母がいたから 今の私があり 幸せに暮らせている

これからも幸せに生きていくから、笑って生きていくから

「 じゃあ またね お母ちゃん 」

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皆様、ありがとうございました


母 帰宅 !

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母が退院しました !

バタバタと忙しく、ブログをあげる余裕もなかったのですが

母のお世話にも慣れて、少し心の余裕が出てきました

朝5時半から  オムツ交換 → 胃ろう注入 → 薬(目薬も) → 着替え → 口腔清拭 → デイの支度

の合間に・・・弁当つくり、洗濯機まわし(干しは娘)、シャワー、朝食、ゴミだし・・・

あ!! 化粧してないwww

なんてことは毎日。。

昨日は、娘たちの演奏会へ母を連れて行きました

良かったことは、母もよくしゃべり元気にすごせ、街の人は私たちに優しかったこと

もっと ドンドン 車椅子で街に出ていこうと思います !!